お金について、
「お金が全て!」
と断じてしまうのは、ちょっともったいないなと思っています。
むしろお金が欲しいなら、その言葉から一歩進んで考えたほうが良いと思うのです。
「お金が全て」だと思ってしまう理由
お金には、
- 価値の交換
- 価値の保存
- 価値の尺度
といった機能があるそうです。
例えば、給料を現物支給されると想像してみてください。
社員が100人いたとして、給料としてそれぞれ違うものを手配するなん大変です。
経理の人、倒れちゃいますよね(笑)
食べ物を支給するにしても、1ヶ月分いっきに配ったらいくらかは腐ってしまう。
それに社員それぞれで価値観が違うから、人と比べた時に不平不満が出るでしょう。
そこで給料をお金にすることで、
- それぞれが必要だと思うものと交換できる
- お金は腐らないから好きなときに使える
- 具体的な数字で示されるから納得感がある
といったメリットがあるわけです。
この中で特に注目したいのが、
価値の交換
の部分です。
もし「これはお金で買えるけど、これは買えない」ということが世の中で頻発したら、めちゃくちゃ不便ですよね。
つまりお金は限りなく”全て”のものと交換できる方が、お金としての役割を社会の中で全うできる。
そうのためには、お金というシステムがみんなに信頼されないといけません。
お店では1,000円のものがちゃんと1,000円で買え、それに違反したら警察(国)が責任をもって取り締まる。
だからお金をお金として、信頼して使うことができます。
そして「お金が全て」とは、この信頼が信仰に変わった状態と言えるでしょう。
お金というシステムの拡大解釈と言えます。
本来、人間が便利に暮らすためにつくったシステムなのに、そのシステムに人間が合わせている。
そうなると、人生においても歪みが生じてきます。
「お金が全て」は手段の目的化を招く
お金の役割は、
- 価値の交換
- 価値の保存
- 価値の尺度
だと言いました。
そして「お金が全て」という思考は、交換・保存・尺度といった役割に重きをおく思考です。
しかしほんとうに大事なのは、役割よりも価値の方ですよね。
本来、お金は価値を手に入れたり、見定めたりするための道具です。
しかし役割そのものを価値だと勘違いすると、いつまで経っても満足感は得られません。
商品の価値に関係なく、買い物してしまう。
仕事の価値に関係なく、稼ぐことに没頭してしまう。
しかしその時に得られる価値がじぶんの価値観と合致していなければ、買おうが稼ごうが満足感は得られません。
いわゆる手段の目的化という現象です。
ひるがえって考えてみると、「お金が全て」という言葉を使う人は、価値をしっかり考えていると言えるでしょうか。
価値について本気で考えると、「お金で買えないものもあるな…」と感じるのが、むしろ普通だと思います。
「じぶんが本当に欲しいもの、必要なものが売っているか?」をよく考えれば、それに気づくのはそう難しいことじゃないかもしれません。
「お金が全て」と思うと逆に損。そう思わない人が金持ちになる
「お金がすべて」と思ってしまうと、「価値」に対する審美眼が磨かれない。
それは商売をするうえで、大きな足かせになってきます。
価値がわからないとは、つまりみんなが求めていることがわからないということ。
それで何かを売るには、ちょっと無理がありますよね。
皮肉なもので、お金持ちほど「お金が全て」という信仰にとらわれることなく、正確にお金の概念を捉えています。
ただ複雑なのは、価値を見定める価値観は人それぞれで違うこと。
「みんなが欲しいもの」と「じぶんの価値観」が遠すぎれば、それはやっぱりお金持ちになるのはむずかしい。
でもそういったマイノリティ的な価値観を持つ人は、おそらく「お金が全て」という思考からは脱していると思います。
だとすれば、少ないお金でもじぶんを満足させるお金の使い方・稼ぎ方ができるのではないでしょうか。
「お金が全て」
その言葉は、お金がこの社会で役割をまっとうするためには必要な方便です。
しかしそのことを一旦脇に置いて、お金によって交換される価値と価値観について考えてみよう。
それはお金が欲しい人にも、欲しくない人にとっても、大事になる思索ではないでしょうか。
価値観を磨く手助け
わたしのこういった考え方は、ミニマリストから大きく影響を受けました。
ミニマリストは「いる・いらない」の審美眼がとてもするどい人たちです。
ミニマリストに興味を持った人のために、
ミニマリストのガイドブック
を書いたので読んでみてください。
ミニマリストの定義と歴史。
ミニマリストの始め方、続け方。
そして頼れる先輩まで、網羅的に解説しています。
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