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無知が怖い?「戦略的無知」になるススメ

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「無知が怖い恥ずかしい…」

 

そんな気持ちが、わたしにもありました。

 

けれど最近、

 

「知らないことは、知らなくてもいい。むしろ知らない方がいいのでは?」

 

と思うようになってきた。

 

この記事では、

 

戦略的に、じぶんから無知な人になってしまっても良いのではないか

 

と思う理由を書いています。

 

 

「戦略的無知」とは?

実はこの記事を書き始めるまで知らなかったのですが「戦略的無知」とは、もともと心理学の世界にあった言葉だそうです。

 

そもそもは、

 

「カロリーを気にせず食べたいから、あえて調べない」

 

といったような、

 

「自分の欲望やズルを肯定するために、見ないふりをする」

 

といった意味だそう。

 

しかしこの記事では、もう少し意味を広げて「あえて知らないでおく」スタンスを肯定的に紹介したいと思います。

 

キャズム理論というものがあります。

 

キャズム理論とは、

新たな製品が世に出た際に、その製品が市場に普及するために超える必要のあるについて説いた理論のこと

より感度の高い人から、

  1. イノベーター
  2. アーリーアダプター
  3. アーリーマジョリティ
  4. レイトマジョリティ
  5. ラガード

と続きます。

キャズム理論

わたしが言いたい「戦略的無知」とは、このキャズム理論で言うと

 

あえてレイトマジョリティに留まること

 

だと言えるでしょう。

このへんで

積極的にキャズムを超えないスタンスでいることで、かえってメリットがあるように思うのです。

 

 

戦略的無知のメリット

情報に振り回されない

キャズムを超えなかった情報(やモノ)は、けっきょく社会に浸透しなかったもの。

 

実際に社会で運用されることはなかったわけですから、ある意味で知っていても無駄でした。

 

キャズムの向こう側(イノベーター、アーリーアダプター)に行くことは、新しい技術の品定めを自ら買って出ることです。

 

今、そのに該当する情報やモノがほんとうにたくさん溢れている

 

正直なところ、それらをいちいち試用したり批評していたら、時間がいくらあっても足りません。

 

実際には使ってみたり、体験する時間がないから、口だけの批評になる。

 

そうすると他人の信用も失いかねない。

 

たしかにアーリーアダプターになることは、青田買い的なメリットがあります。

 

とは言え、いつかアタリがくるまで待ち続けることは努力ではなく、ギャンブルでしょう。

 

ギャンブルが悪いわけじゃないですが、人生をギャンブルだらけにしてはいけない。

 

”だらけ”になってしまうほど、新しい情報やモノが溢れている今、自ら一歩引く「戦略的 無知な人」が必要ではないでしょうか。

やりたいことに集中できる

わたしはフリーランスとして働いています。

 

そうするとよくわかるのですが、この世は

 

やったほうがいいこと

 

だらけ。

 

SNSもやった方がいいし、異業種交流会も行ったほうがいいし、営業もやったほうがいい。

 

たしかに、それらはどれもこれも「やったほうがいいこと」なのは間違いありません。

 

けれど実際にはリソースが足りないので、全てに手を出すと全てが中途半端になる。

 

もちろん向き不向きがわからない段階ではチャレンジすることは必要だし、常にチャレンジ精神を持って模索することも大切です。

 

しかし1日は24時間で、じぶんの手は2つしかないのは厳然たる事実。

 

取捨選択は必要です。

 

そしていちど取捨選択したら、一定の期間は脇目を振らずそれに集中することが大事。

 

そんな時、勇気を持って「戦略的 無知な人」になる必要があります。

 

特にビジネスの世界では、目新しいビジネスモデルが常に開発され、提案され続けています。

 

知らないと不安になることばかりですが、割り切って目の前のことに集中する。

 

得てして未来に繋がる仕事は目の前の仕事だったりします。

 

だとすれば、目の前の仕事のクオリティを上げることに集中するのが得策ではないでしょうか。

 

 

 

人を羨ましくなくなる

アーリーアダプターは新しいものをどんどん取り入れたいバイタリティ溢れる人。

 

わたしもそんな人に憧れがあるし、好きな人も多いです。

 

ただバイタリティ溢れるがゆえに、良くも悪くも競争心対抗心が渦巻いているのがキャズムの向こう側。

 

競争心は嫉妬心表裏一体で、ともすればじぶんの身を焦がす苦しい場所になります。

 

競争自体が悪いわけじゃないし、決して競争がなくなることはない。

 

その前提に立った上でじぶんが競争に向いていないとすれば、自ら身を引く必要があるでしょう。

 

消極的な気もしますが、しかしそれで他人に対する羨ましさが軽減され、あくまでじぶんらしく毎日を過ごせるなら、それはメリットだと言って良いと思います。

 

関連記事:人と比べない生き方、考え方を手に入れる方法

 

 

 

無知でも大丈夫な理由

知識だけではダメだから

いろんなメディアを眺めると、そもそも「知識」を過剰評価している傾向があるかもしれません。

 

よく

「知っている」のと「わかる」のは違う

なんて言いますよね。

 

では、どうすれば”わかる”ことができるのか?

 

その事柄を”わかる”ためには、ただ知識を持っているだけでなく、体を動かしてみる必要があります。

 

例えばサッカーの教則本を読んでも、サッカーは上手にならない。

 

上手になるには、実際にボールを蹴って練習します。

 

そして練習したからこそ、教則本で勉強するのが役立つ。

 

このように「勉強」と「練習」が両輪で回って、はじめて”わかる”ことができる。

 

おそらくどの分野においても、「勉強」と「練習」に該当する部分があるはず。

 

多くの場合、勉強が足りないことを無知と言うでしょう。

 

けれど、勉強が十分でも練習が足りなければ意味がない

 

さらにキャズムの向こう側の知識はまだ社会に浸透していないので「練習」することすらできなかったりする。

 

「勉強」だけに留まってしまう。

 

これでは地に足のついた努力ができません。

 

無知を毛嫌いすることは、むしろ知識を過剰評価し、頭でっかちになってしまうリスクがあるでしょう。

そもそも全知全能にはなれないから

冷静に考えれば何でもかんでもできる人、知っている人はこの世に存在しません

 

一部の有名インフルエンサーなんかを見ると、何に対しても一家言あって「すごいな」と感じます。

 

しかしそれはTVワイドショーのコメンテーターみたいなもので、日々生まれてくる情報にコメントしているだけ。

 

それを見て(それをして)、特にじぶんの能力が開発されることはありません。

 

そしてSNSやYahoo!ニュース、YouTubeなど色んな場所にコメント欄があり、誰でもコメンテーターになれてしまう現代。

 

わたしたちはみんな「コメント習慣」が生まれやすい環境にあります。

 

コメント習慣に身を投じれば投じるほど、知ったかぶりのじぶんが肥大化していく。

 

その習慣を捨て去って、勇気を持って無知な人になることのほうが、多くの人にとってヘルシーではないでしょうか。

 

とは言え、「戦略的無知」にもマナーがあると思います。

 

それは、

  1. 新しいものに背を向けない
  2. 知る必要がある時は謙虚に学ぶ

の2点。

 

「戦略的 無知な人」は”あえて”レイトマジョリティに留まるのであって、世間に背を向けることではありません

 

また知る必要がある時は、教えてくれる人にリスペクトを持つことが大事です。

 

当たり前のことに思えますが、特に年齢を重ねると無知であるがゆえに高慢になってしまうことも少なくないですよね。

 

わたし自身もそんな年齢に差し掛かっていると思うので、気をつけたいと思います。

 

 

 

必要十分で、生きていく

わたしのこういった考え方は、ミニマリストから大きく影響を受けました。

 

情報や知識だけじゃなく、なんに対しても増やし過ぎの処方箋になります。

 

ミニマリストに興味を持った人のために、

 

ミニマリストガイドブック

 

を書いたので読んでみてください。

 

ミニマリストの定義と歴史。

 

ミニマリストの始め方、続け方。

 

そして頼れる先輩まで、網羅的に解説しています。

 

関連記事:ミニマリストになるには?ステップアップガイドを実践者が紹介

 

 

 

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