物にあふれる現代社会。
私たちは「必要なもの」と「欲しいもの」をしばしば混同します。
しかしミニマリストはこの違いを深く考え、本当に必要なものを見極めようと選択を重ねます。
この記事では、
私が感じた『必要』『欲しい』『いらない』の基準
についてご紹介し、シンプルな暮らしを目指す方に役立つヒントをお届けします。
あなたにとって、本当に必要なものとは何でしょう?
一緒にその答えを探していきましょう!
ミニマリストが思う「必要なもの」とは?
生命維持、社会生活に必要なもの
- 家
- 食べ物、水
- 最低限の衣類
- 身なりを整えるもの
- 仕事
- お金
雨風を凌ぐ家、栄養補給、体温維持。
そしてお風呂や散髪など、身なりを整えるものがあれば最低限の生命維持はできそうです。
あとは社会生活を営むことを考えると、お金関係。
給与が出る仕事と、その給与を受け取るための銀行口座が最低限の暮らしには必要だと思います。
家族や友人
「もの」というのはアレですが(笑)
ただミニマリストは「人間関係の断捨離」も提案しがち。
個人的には人間関係は自然淘汰されるので、積極的に捨てなくても良い気がします。
特に年齢を重ねるほど、人間関係はむしろ希薄になり、しっかり維持するほうが大変になる。
結局、人は社会性動物なので、人間関係がないと幸福を感じにくい。
その意味ではやっぱり「必要なもの」でしょう。
10代、20代だと人間関係が煩わしいと感じることは多いです。
それはやっぱり、その年代が生き物としての花盛りであり、自然と周りの目を気にするから。
でも30代にもなると、だんだんと「人は人、自分は自分」という気分が強くなります。
それが逆に寂しさを感じさせて、むしろジレンマに陥ったりもする。
人間関係は「必要なもの」として、ある意味で割り切って健全な関係を構築していくのが大事でしょう。
ミニマリストが思う「欲しいもの」とは?
五感が気持ちいいもの
目で見て美しい、肌に触れて気持ちいい、食べて美味しい。
いづれも生命維持という意味では、積極的に必要ではありません。
でも五感を喜ばせないと、なんだか気に病んでくる気がしませんか。
特にミニマリストが「捨てて後悔したもの」は、五感をないがしろにした結果であることが多いはずです。
服や寝具を捨てすぎて、風邪を引いてしまった。
デスクやチェアを捨てて、肩こりになってしまった。
ソファやテレビを捨てて、家族の時間が減ってしまった。
これらは首から下、体の声をよく聞かなかったために生じた失敗だと思います。
学びがあるもの
わたしは最近、整理収納アドバイザーの資格を取得しました。
関連記事:ミニマリストがユーキャンで整理収納アドバイザー(二級、準一級)を取得した体験談。費用やスケジュールなどを紹介
それに伴って、テキスト類やDVDなど物が増えています。
とは言えそれは、直接的に自分の糧になるものなので所有してOK。
またここ2年ぐらい、ミニマリストだと言っているのに積極的に服を買っています。
それはコーディネートとかファッション文化とか、服の楽しみ方を学びたいと思ったから。
実は一昔前の自分のほうが、よっぽどミニマリストファッションだったと思います。
しかしファッションをちゃんと語るうえで、何も体験もせず、何も身銭も切らないで語るのは、自分で自分を信頼できないと思いました。
特に衣食住は誰にとっても避けられない人生の必修科目。
それを楽しめるようになるのは、ミニマリスト関係なく豊かなことだと思います。
そのものに対して自分なりの目的があり、好奇心が働くのなら、それは健全な「欲しいもの」として認定して良いのではないでしょうか。
「必要なもの」と「欲しいもの」の違い
「五感が喜ぶもの」と「学びがあるもの」は生き物(生命維持)という意味では、明らかに必要なものではなく、欲しいものと理解できると思います。
しかし単なる生き物としてではなく、「人生」という目線で見ると、その境界はとたんに曖昧になりますよね。
人類としては必要でなくても、1人の文化的な人間として「五感が喜ぶもの」と「学びがあるもの」も極めて必要なものであろうと。
人には「趣味」が必要
そう言い換えても良いですね。
この考えは直感的に理解できると思います。
その中でも、わたしがあえてそれら(趣味)を「必要なもの」ではなく、「欲しいもの」に分類するのは、
無くても、まぁ大丈夫だろう
という心持ちでいたいからです。
仮に整理収納アドバイザーでなくても、今後ファッションが楽しめなくなっても、それはそれで別に良いだろうと。
あまり過度の期待を持たないスタンスです。
っと言うのも、「欲しいもの」は人生を豊かにする一方で、執着を生みがちです。
その執着は、いつの間にか「必要なもの」すら蔑ろにするほど、依存や熱狂を生み出してしまったりもする。
それは明らかにミニマリスト的ではないでしょう。
なので「欲しいもの」はあくまでプラスアルファのものだと思うことで、執着を軽減しつつ、その物事を大事にできる気がします。
ミニマリストの「いらないもの」とは?
SNSで点数を稼ぐためのもの
「必要なもの」と「欲しいもの」は、本当に”自分が”求めているものなのかという考察が極めて重要です。
時々、ミニマリストは、
ミニマリストなのに、承認欲求は捨てられない
と批判めいたことを言われますよね。
基本的にミニマリストでなくても、承認欲求は捨てられません(笑)
やはり人が社会性動物だとすると、承認欲求は自然で健全な欲求でしょう。
ただミニマリストは、承認欲求がSNSに集中しがちなんです。
実はミニマリストこそSNS依存に陥りやすいライフスタイルだと言えます。
その理由は主に2つ。
ひとつはテレビや雑誌、新聞など旧メスメディアを断捨離したがために、視聴するメディアがインターネットに偏ることが挙げられます。
SNSとスマホは、あらゆる手段で承認欲求を刺激して、「滞在時間」や「アクティブユーザー数」を増やすことを目指します。
”他に見るものがない”ミニマリストは、実はその罠にハマりやすい。
また近年のミニマリスト自体が、インターネットを前提に普及した文化である点も挙げられます。
旧来のマスメディアは物を作る企業がスポンサーなわけで、「物を買うな」というメッセージを発することはありません。
ミニマリストはネットメディアの中で、一般の消費者が手と手をつなぐようにシェアしながら成長していった文化です。
それ故にミニマリストは、ネットで情報をシェアすることが当たり前だったりします。
だからこそ、SNSでのシェア↔リアクションのループが実生活よりも楽しくなってしまうことがある。
先ほど、
捨てて失敗するのは、五感をないがしろにした結果
と言いました。
そもそも五感をないがしろにしてしまうのは、自分の感性よりもSNSでの評価を重視してしまうからだと考えられます。
見る側として、
「あの有名ミニマリストが捨てているから、正解なんだろう」
発信する側として、
「捨てれば捨てるほど、いいねが増えていく…!」
と思ったり。
そんな気持ちが、実生活の心地よさを上回ってしまう。
「物を捨てて時間ができました!今はサウナが趣味でーす」
とSNSに書いてみたが、実はぜんぜんサウナが気持ち良いと思っていない。
そんなシュールなことが、往々にして起こっています。
おそらく「ミニマリスト」じゃなくても増えているはず。
こういった現状をミニマリストも野放しにしているわけじゃなく、近年は
「デジタル・ミニマリスト」や「デジタル断捨離」
が叫ばれるようになりました。
実際は自分の行動が「点数稼ぎ」なのか、それとも本当に「五感を喜ばせる」ためなのか、判断しにくいです。
その判断は習慣に左右されるので、習慣そのものを改善しないと難しい。
ここではデジタル・ミニマリスト的にネットを使う時間を減らして、五感にフォーカスした時間を増やすことをおすすめしたいと思います。
【まとめ】考察を続けよう
ミニマリストとは、自分にとって「必要なもの」と「欲しいもの」の境界線を探りながら、「いらないもの」を手放す勇気を持つことです。
人の価値観や判断基準は、一朝一夕で完成するものではありません。
こういった考察を繰り返しながら、自分らしいミニマリストライフスタイルが出来上がっていくものだと思います。
わたしの考察が参考になったらうれしいです!
【参考】ミニマリストの基本
ミニマリストについて知りたい人のために、
ミニマリストになるステップアップガイド
を書きました。
ミニマリストの定義と歴史。
ミニマリストの始め方、続け方。
そして頼れる先輩まで、網羅的に解説しています。
関連記事:ミニマリストになるには?ステップアップガイドを実践者が紹介