昔、バンドをやっていました。
バンドマンなんてやっていると、不思議と劇団員だとか、お笑い芸人の友人ができる。
夢追人仲間、とでも言うのだろうか。
当時の夢追い人仲間がワタナベエンターテインメントの養成所に通っていて、彼の「卒業ライブ」を見に行った。
そのライブで上位になると、晴れてワタナベエンターテインメントに所属できるというわけだ。
仲間はまぁまぁスベっていて、その後は暗中模索の日々を過ごすことになる(笑)
そのライブで一組、明らかに爆笑をとったコンビがいた。
特にボケのほうがひときわ際立っていて、わかりやすい表情にとおりの良い声、誰からも愛される愛嬌をもっていた。
わたしは「あぁ、こうゆう人が売れるんだな」と思った。
正直、他の芸人たちと明らかに違った。
もう、あからさまな爆笑をとっていた。
例えれば、会場が揺れるほどの爆笑だ。
きっとワタナベエンターテインメントの先輩、ネプチューンのように、明るい芸風で誰からも愛される芸人になるんじゃないかと思った。
しかし、それから彼の姿を見るはなく、時が過ぎていく。
そしてもうそんなことも忘れかけていた2018年。
その年の「キングオブコント」を見ていると、新世代のトリオが彗星のごとく登場。
わたしもテレビの前でおおいに笑う。
その豊かな表情、キレのある動きに記憶のふたがとつぜん開きだした。
「あれ…?この子、あの時の…?」
すぐに仲間に連絡をとる。
「ハナコってもしかして同期だった?」
卒業ライブで爆笑をとった彼とは、ハナコの岡部大くんその人である。
その後の活躍は言うまでもないほど。
つまり、わたしの目に狂いはなかったのだ(笑)
いや、それよりなにより「すぐ売れる」と思った岡部くんが世に出るまで、おおよそ10年かかっていることに、わたしは驚きを隠せなかった。
才能、努力、実力をひしひしと感じたその人が、10年もかかってしまう。
「芸人の層の厚さ」は想像を絶するものだった。
岡部くんのような才能ですら、10年かかってしまうのが半ば当たり前の世界。
芸人は売れる一歩手前のセミファイナルで、「風」が吹くまで耐え続けなければいけない職業なのだ。
いつ「風」が吹くかは、誰にもわからない。
その希望とも絶望とも言えない、食うか食わずの微妙な状況で、10年もしくはそれ以上耐え続けなればいけない。
その根性は、ほんとに頭が下がる思いがする。
特に今のお笑い界はたいへんそうだ。
わたしがハタチ前後の頃は、お笑いブームで「レッドカーペット」や「エンタの神様」がそれを牽引していた。
それらの番組は比較的に出演者を若手に絞っており、ブームをつくろうという意図が感じられた。
ところが今のお笑い界は「第7世代」と言いつつ、中堅・ベテランも積極的にテレビでネタを披露する。
「千鳥のクセがすごいネタグランプリ」なんかも、本来は若手だけで良い気がする。
しかしふつうに友近さんや、ロバートなんかが出てくるのだ。
特に友近さんの「ヒール講談」を見てほしい。
こんなの、劇場芸人が一生かけて磨くようなネタではないだろうか?
それをキャリアのひとつとして出してしまうのだ。
今の若手芸人は、この才能と実力をもった先輩芸人と同じショーケースに並べられて、比べられてしまう。
ちょっと大変すぎるな…と思う。
あとロバートのこれもエグい…。
見ている方からすると、若手中堅入り乱れて、いろんなおもしろいものが見れるこの状況は願ったり叶ったりだ。
けれど「岡部くんですら、10年かかる」ことを思う時、ちょっと若手に同情してしまうのであった。
夢追い人だったわたしも、いつの間にか夢追い人を支える年齢、立場になりつつある。
つまり「風」を吹かせる立場だ。
わたしは多くの人に夢を持ってほしいと思っている。
けれでも無責任に「風」を吹かせて、若者の人生を台無しにするようなことはしたくない。
現状はこんなに厳しくて、たいへんなのだから。
「風」が吹けば、売れる。
でも実力がなければ、売れ続けることはできない。
「風」が吹くその時期だけチヤホヤして、本人の心を贅沢に慣れさせて、ブームが終わればハイさよなら。
贅沢になった心と希望にそぐわぬ現状は、いらぬプライドを生む。
プライドしかもっていない青年が大人になっていくと、えてして悲惨だ。
だから「風」を吹かせる立場の人は、風が止んだその後のことも考えるべきだろう。
残念がら、そんな思いやりのある大人だけではない。
自分自身が思いやりを持つと同時に、もし自分の大切な子どもたちが夢を志すようなことがあったら、思いやりのある大人に預けなければいけないと思う。